公開ブログ(2025/5/11更新)

K443 世紀末という人生の急流

K443 世紀末という人生の急流

- m ueda の投稿
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「正しき心の探究」の正しさとは「神の心」。
だから、「正しき心の探究」とは「神の心の探究」し、自分のズレている部分に気づき、修正し、
神の心に近づいていくこと。

だから、「神の心から離れたらただの漂流船」という歌詞に表されているように、この探究を怠ると漂流船になる。
信者の条件である「日々正しき心の探究」を怠ると漂流船になるということ。

社会想念がかつてないほど荒れている世紀末の現代、霊的には史上最大の暴風雨。
漂流船はやがて難破船になりかねない。
教団として「大願船」になるはずだったのに、実態は「漂流船」だったなんてことになったらシャレにならない。

大願船を形成するところの信者個人においても、「真理の言葉・正心法語」に重要な御注意がある。
「心 もし過てば 小舟は 岩に 砕かれん」の部分がコレ。
人生の急流でこそ、心のコントロールして神の方向へ舵取りをせよと。

ただ、霊的に流されているのに気がつけないこともある。
無自覚に流されていると無抵抗に流され続ける。
このときに、講師や法友の「耳の痛い助言」を受け入れる心の余裕があればいいのだが・・・