長年信者をやっていると、ときおり自分を振り返らないとマズイと思った。
なんとなく学習、なんとなく活動、なんとなく・・・
「当たり前」のことを、改めてなぜ「当たり前」なのか。
ときおり振り返らないと、意外に「流されている」かもしれない。
特に、周りも流されているときには自力で気がつくのは困難。
気がつけば、経典類は3000冊を超え、まさに「法の大海」。
その大海のなかで浮木にたどり着けない盲亀のごとき自分。
そんな不安が心をよぎり、経典『原点回帰』をいただいてきた。
正直に言えば、「主の法ではなく霊言に五千円は・・・」ということで後回しにしてきた。
だから、気がつけば発刊から十年も経ってしまっていた。
でも、今回は「原点回帰」というタイトルに対して胸の奥で反応したようで、
十年越しの拝受が叶いました。
まえがきには「教団史や宗教としてのスタート点を再確認するために必要」とあります。
そして、
真の意味で、宗教も『保守回帰』、『原点回帰』が必要だろう。
この言葉でまえがきが結ばれていることの意味を年末年始で考えてみたいと思います。