前回の補足をします。
須弥山の戴冠式のシーンを見て自分の神認識が変わった。
「仏と神とを合一した御存在」という認識は持っていたものの、
それは「釈尊とヘルメス神」が同時に存在しているレベルだった。
ところが、あのシーンを見て「大きさの違い」にまず驚いた。
エネルギー量とか悟りの高さを「大きさ」で表していた。
これは映画「ノストラダムス戦慄の啓示」の冒頭部分でも表現されている。
今回の映画で決定的に違うのは「地球神」として「民族神の帰依」を受けたこと。
2004年1月に説かれたときにはその重要性を掴めなかった。
要は、エル・カンターレ認識が「偉大なる神々の一番偉い神様」というあたり。
「神々を創られた創造主」ところまでは腑に落ちていなかった。
まあ、現在でも高天原の神々でさえ帰依していない者たちも多数存在。
そんななかでの「正信の点検」は、思っている以上に相当困難なのかもしれない。