今回は私の主観満載、法的根拠無しの内容です。
実は先日、教学にも「真善美」があるんじゃないかと思った。
「ああそうだったのか」と新しく分かるのが「真偽」。
知識が広がり満足感がある。
次に、「これ、いけないことだったの?」と判断基準を知るのが「善悪」。
ここで自分をチェックできるのが修行者。
「ああ、そういう人いるよね」と自己チェックをしないのが傍観者。
そして、「より良くしていく」のが「美醜」。
実は、これが分かりにくい。
たとえば「黄ばんだ下着」と言えば伝わるだろうか。
下着としては機能してはいるが、そのまま人前に出るのは・・・
新しい法が説かれたということは、以前のものは脱ぎ捨てて着替えよ、ということ。
まあ、頭では理解できるんですけどねえ・・・
でも、これは来世以降もずっと続く価値観。
なので、日本語で学べる今世のうちに、かすかなりとも身につけたい。