公開ブログ(2024/5/2更新)

K416 快・不快の原則と修行

K416 快・不快の原則と修行

- m ueda の投稿
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「修行」という言葉に対して「やらねばならないもの」と思っていると「修行=苦行」になる。
そうすると「メンドクサイ」という思いが湧いてきやすい。
この「メンドクサイ」という思いが実に厄介者。
自分の本音にあるから手強い。
動物に宿って修行する我々にとって避けて通れない問題。

でもね、避けてきたでしょ(笑)

この避け方が実に巧妙でナチュラル。
自分が「修行を避けている」って思わせないようにして避けるから。
たとえば「植福しているから反省は免除」というような実にアヤシイ思想が形成されているかもしれない。
中世の「免罪符」はまさにそれ。
「カネを出すことで修行免除」
堕落した聖職者が無知な民衆の安易な信仰心を上手に利用したといえばそれまでだけど、
そのときの聖職者たちはその後の転生でどうなっているんでしょうかね。

楽曲「R・A・ゴールの慈悲」を聴きながら思い浮かんだことを書いてみた。