今月の支部での祈りのなかの御法話抜粋に『信仰と祈り』があります。
愛とは、あなた方がいかほど与えられているかということを、
そして、神からすべてが与えられ尽くしているということを
発見し、自分のものとしたときに、
自ずから感謝として湧き出てくるものだ。
(『信仰と祈り』より)
祈りの式次第のなかで感謝の時間があります。
このときに、奏上文にある内容に自分の心を合わせることができると、
感謝の思いが自然に湧いてくるようになっている。
式次第に書いてあるから「感謝しなきゃ」というのは、奏上文に心が同調してない。
別な言い方をすれば、頭でつくっている感謝。
それでは世界同時の祈りの目的である「集合想念」とはズレたものになってしまうんじゃないかと。
そんなところに気がついた今日の祈りでした。