今日はちょっと(たぶん多くの人にとって)耳の痛い内容になります。
「余裕ができたら植福したい」
「時間ができたら支部の祈りに行こう」
こう考えている方も結構いらっしゃるかもしれません。
「植福したい」とは思っていても、「余裕ができたら」という条件を付けている。
「復活の祈りをしに支部へ行こう」とは思っていても、「時間ができたら」という条件を付けている。
もちろん各自の事情はおありでしょう。
ただ、それを「放置した」か「改善しようとした」かを閻魔様がどう判定するか、については各自が責任を取ることになります。
これが「法の厳しさ」といわれる側面だと思います。
「エル・カンターレには厳しい側面もある」と言われる霊人も結構いらっしゃいます。
「法の厳格さ」のことを「厳しさ」と言っているんでしょうが、ホント、「自己責任」って厳しいですよね。
だから、知らずに「条件付き信仰」をしていないか、地上生命があるうちに、挽回チャンスがあるうちに、点検しておかれたほうがよろしいかと・・・