「反省の前半・後半」というテーマに関連して、昨年の「K470 本音と建前」を再掲します。
実は、意図していないのではなく本音が意図していたことに気がついていなかったということ。
このパターンでで不幸を引き寄せているということは数多くあるはず。
「善因善果、悪因悪果」は知ってはいても、実践するのは何十年信者をやっていても結構難しい。
残念ながら、「知るのは好きだが修行は嫌い」という本音になかなか勝てない。
テレビとかスマホで時間を奪われている人の本音は案外「何か面白いことないかな」あたりかも。
要はやるべき目標が定まっていないか、定まっていてもやりたくないとか。
だから目先の興味関心に対する刺激を求め、暇つぶし型の生活を引き寄せているあたりかも。
自分の心が何を考えているかを自己観察してみませんか。
「自分の本音が何を考えているか」
これ、意外と根深いテーマであり、かつ、仏教の中心テーマ。
再三お勧めしている経典『心に目覚める』のまえがきでは
「心が発見できない」仏弟子も現れてきた
と総裁先生が嘆かれている。