前回、16年前の自分との再会で気づいたことは「主からの出題」。
「主が示された理想と現実との差をを自分(たち)はどう埋めるのか」
実はこれが経典の読み方の原点だったんじゃないかと今さらながら気づいた。
ところが、私達の心の奥にあるのが「御利益信仰」。
「主が理想を示されたらなんとなくそれが実現するはず」
「教団に属していればなんとなくその理想状態に連れて行ってもらえる」
「幸福は神様がもたらしてくれる」という考えそのものは正しい因である。
だが、幸福になるプロセス(縁)の解釈が間違っていると、
その結果は「地獄への道」にもなる。
この「理想と現実のギャップを埋める努力」が幸福を生み出す「縁」。
改善に向けての自助努力こそが幸福生産力とも言えそう。
理想がなかなか実現しない現実に失望し、改善力(幸福生産力)が落ちてたことに驚愕中。