前回に続いて英語版「正心法語」関連の話題をもう一つ。
先日、我が家で近所の信者さん姉妹と集いをした。
三帰誓願をして四年、共に80歳を超える姉妹。
新刊経典はもちろん楽曲などを拝受し、我が家の経典も借りて猛勉強中。
まさに「現役女学生」そのもの。
冒頭で英語版「正心法語」の読誦に戸惑いつつも唱和した。
祈りの後の茶話会で、最初の話題もこれ。
「仏教伝来時も外来語である漢文経文に苦労したんだろう」と盛り上がった。
たぶん、内容が分からなくてもカタカタ読みをして必死についていったんだろうなと。
そんななかで一つの疑問が浮かんだ。
過去世で仏教徒はやっていたとしても、仏道修行はしていなかった可能性がある。
「読経だけで功徳がある」「自分で読経すると功徳がある」
こんなあたりの「御利益信仰」で仏教徒をしていたツケが今世に巡っている?