「経典を読むことはできても理解はできていない」とはどういうことか。
この点検は高等宗教を学ぶ上で極めて重要なポイント。
これを地図とコンパス(方位磁石)で目的地に向かうオリエンテーリングにたとえてみる。
誰でも地図を「見る」ことはできる。
でも、等高線の間隔等から実際の地形まで読み取り目的地までのルートを探す。
これは結構な技量が必要。
これが「読解力」の例えとして適切だと思う。
(実は「読解力」とは「精読」のことなんじゃないかとこれを書きながら思った)
その上で、自分が向かっている方向と照らし合わせる。
これが「反省」。
だから、同じ経典を読んでも「自分はどうすべきか」まで読み解けるかは相当な差が出る。
だから、経典は読むが反省はしていなかった私はさほど仏に近づいていなかった?
せっかく40年前もに『日蓮聖人の霊言』を手に取ってはいたのに・・・
まあ、「気がついたところから新しい未来は開ける」と言い聞かせて原点回帰をします。