信者になると「守護・指導霊への祈り」が与えられる。
なぜ同じ経文で守護霊にも指導霊にも祈れるのか、いまだに分からない。
多分どこかの経典にヒントがあるとは思うが、主が示されたものだからそうなのだと受け入れ、
まずは使い方に慣れておこうと考えている。
まず冒頭の「心の中にまします」の部分。
数年前にこの部分に気がつくまで、「遥かなる天空におられる」というイメージだった。
でも、よく見れば経文では「心の中に」とある。
これに気がついて「遥かなる天空」から「自分の心の中」に変えた。
このブログでは、こういう部分のことを「体感」と言っている。
「教えと実感の合体」「頭と心の一致」というような感じ。
実は、これが霊性文明に対応するための入口だと思っている。
入口が分からなければその先には行けない。
その先に行くつもりがないのに知りたがるのは単なる趣味になってしまうかも。
厳密に言えば宗教修行から外れてしまうのかもしれない。
経典では「智慧が得られるのが本当の修行」とあるから。(「修行の王道とは何か」より)